人形話とはまったく関係のないお話ですが・・・。
今年は藍釜を発てることなく、とうとう6月を迎えてしまいました。
毎年5月の連休の頃には3日間ほど付きっきりで藍釜を発てていました。
5年前、一念発起して畑を1反お借りして藍を育て、収穫後には様々な方々の手をお借りして「すくも」を作り「藍玉」にして藍釜を発てました。
それまでは藍染をやっている友人から藍玉を分けてもらって染めていましたが、今も手元に、5年前に作った藍玉が残っています。
この藍玉がすべてなくなった時、私は次の畑を借りて、一から藍を育てることが出来るのでしょうか、今もあの時の情熱を思うと、驚きを隠せません。
正直、毎日畑に通う私の姿に、自分自身が本当にどうしたの私・・・と呟く日々でした。
私の好きな藍は、青の藍よりも黒に近い藍、色目からするとおそらくは鉄分を置く含むがゆえに発色される藍のはずですが、日本の風土では難しいらしく、上手く発色させたことは、数えるほどしかありません。
何度か個展の真似事もさせていただいたり、屋号をいただいて藍染めのお仕事をさせていただいたりもしました。
本業との合間にしか出来ないことでしたが、朝、日が昇る少し前に藍釜に焼酎を入れてあげて、おはよう、と声をかけて、その日染める予定の生地の下準備をしたり、長く時間をかけて作る絞りの準備に勤しむ。
染めを始める前の、朝の日が昇る少し前に見える、青の時を何よりも心待ちにしたあの頃。
6月の噎せるあさぼらけ、藍の蒼を見た時のなんともいえない心地を、今も私は忘れることが出来ません。
Is the wishes I make in the long, long night